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ウズベキスタン6日目 ヒヴァ③ [ウズベキスタン]

ウズベキの更新も残すところあと数回なのに、いろいろとやることが多く、久々の更新です。

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ヒヴァは木彫りと織物・刺繍の町。
写真のように男性が木彫りで女性が織物・刺繍。
絨毯織や刺繍を小中学生がやっている姿はみかけなかったけど、
木彫りは小学生くらいの男の子も。はじめはヤスリがけからのようだけどね。

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ヒヴァはホレズム文化(1920年にホレズム人民共和国が成立)ホレズム=太陽の国
というように、ヒヴァは300日雲ひとつでない。
ガイドさんにヒヴァの人たちはウズベクなの?
タジクなの?と聞くとホレズムだと。
写真はそのホレズムの舞踊の様子。
経営しているのはイタリア人なんだけど・・・


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料理は女性の仕事だけど、プロフ(ピラフ)を作るのは男性の役目。
祭りのときには家長が大量のプロフを作るらしい。
写真を撮ったのはラマダン初日。初日のお祝いに・・・ってことなのかな?
某国といっしょで、まな板はなく手だけで材料を切ります。
でも、某国の男性はこのおじいちゃんみたいに速くはなかったな・・・
右はナンを焼くかまど。これは祭りのときだけに使われるかまどだけど、
ヒヴァの町はほとんどの家がナン焼きのかまどを持ってます。
他の地域のナンと比べて薄いから、自分で焼けるんだろうね。

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男性の遊び。ウズベキのすごろくです。
さいころを2つ使って出た目の和だけコマを
進めていくらしいんだけど、
これがなかなか難しい。。
とっかえひっかえ誰かがやっているから、
かなりハマるみたいね。

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ウズベキの結婚式です。
ガイドさんによると、他の地域ではしないようだけど、ヒヴァではラマダン初日に
結婚式を挙げるカップルが多いんだとか。4組のカップルが式を挙げていました。
式の後にはイチャン・カラめぐり。墓地にもちゃんと行きます。
で、必ず立ち寄るのがモスク。右の写真のように。
純白のウェディングドレスを着た花嫁がモスクにいくのがウズベキ式!?

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その後は結婚登録館に行って証明書にサインをして晴れて夫婦に。
このとき、男女とも健康診断書の提出が義務化されている。
生まれてくる子どものために自分の疾患を知っておく
必要があるためだとか。
子どものためとはいえ・・・

ウズベキスタン6日目 ヒヴァ② [ウズベキスタン]

昨日、今日とまじめに勉強したらものすごい疲れました・・・
さて、ヒヴァの続きです。
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「ジュマモスク」(金曜のモスク)
名前の通り、金曜日にお祈りしに行くモスク。
ジュマモスクには写真のように柱が並んでいて、なんだか異国のモスクにいるとは思えなかった。
柱の数はなんと213本。このモスク、10世紀に建設され数度にわたる攻め合いで破壊され、
18世紀に再建されたらしいんだけど、まだ10世紀当時の柱が現存!(2本だったか3本だったか?)
やっぱり?なのか、古い柱にはまったく彫刻の跡がみられなかった。
あとの柱は1本1本違った模様がぎっしり。右の写真はインドから贈られたものだとか。
ちょっと彫刻がインドっぽい!?
ちなみに柱の接木の部分には補強のため、らくだの毛がはさんであります。

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左はクニャ・アルクの夏モスク。右はタシハウリ宮殿のハーレム。
タシハウリ宮殿、王には4人の妃のほか、なんと40人の愛人が!。
イスラームなので、4人までの妻しか正妻として持つことができなかったため。
ちなみにこの4人の妻は夜に王の部屋に行くときには部屋の後ろに用意された
廊下を通っていたそう。なんでも、表から行くと誰が呼ばれたのかバレてしまい、
翌朝には妃同士で醜い争いになることが目に見えていたからだそう・・・
40人の愛人の女性たちは狭い部屋で朝から晩まで絨毯織に励む日々。
とても辛く厳しい生活だったんだろうな・・・と思うけど、でも、食糧はきちんと分配されて
いたから、他の女性たちと違って飢えに困ることはなかっただけマシなのだとか。

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昨日イチャン・カラの写真といっしょにアップして
おけばよかったんだけど・・・
こちらがジシャン・カラ。
高いミナレットがなく、遠くに最近できたモスクが
みえるだけ。

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左はイチャン・カラに残る最古の道路。車輪の跡が。
車じゃなくてもちろん馬車のです。どれだけ重いモノを運ばされていたのか・・・
真ん中はイチャン・カラの地図。右がイチャン・カラの町並み。
ここが私のお気に入りの通りでした。

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ホテルから撮った門とカルタ・ミナレット。なかなかいい光を捉えているでしょ!
メドレセの門の影がジャマしてるけど・・・
というわけで、やっぱりヒヴァのランドマークはカルタ・ミナレット!!

ウズベキスタン6日目 ヒヴァ① [ウズベキスタン]

ウズベキ初の世界遺産、ヒヴァの「イチャン・カラ」。

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博物館都市の異名を持つほど、イチャン・カラ全体が古い町並み。
ブハラもよかったけど、ヒヴァにきて、2人して落ち着く~と。
城の内の「イチャン・カラ」は南北650m、東西450m。
写真は高台からのイチャン・カラの眺め。茶色の町並みがなんとも言えない。
縮小したからわからないけど、遠くは砂漠が広がってます。

今でもイチャン・カラには3000人ほどの人々が居住しているんだとか。
このあたりはホレズム王国が栄えていて、その頃はイチャン・カラは王族・貴族に
絡んだ人々しか住めなかったそう。
現在はイチャン・カラの人々は観光で生計を立て、ジシャン・カラ(城外)の人々は農耕で。
やっぱり、経済格差は相当なものらしいことが服装などからも垣間見えた。
ちなみに、ジシャン・カラも城壁で囲まれてたらしいけど、今はほとんど残ってないらしい。

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イスラム・ホジャのミナレット。
ブハラの日干しレンガだけのミナレットも
とってもよかったけど、ヒヴァのこのミナレット
のようにところどころタイル貼りもオシャレ。
でも、ここのミナレットも処刑に使用されていたそう・・・
あぁ~・・・
そのほか、キャラバン隊への灯台としても機能していた
らしいです。

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ヒヴァの目印、カルタ(短い)・ミナレット。
本当はブハラまでを見通す110mのミナレットを立てる
予定だったらしいけど、王の死亡によりわずか26m。
でも、ミナレットの直径(忘れた・・・)はここが最大!
次の王が父親の意を汲んで完成させてあげれば
よかったのに、と思ったけど、次の王が前王の遣り
残したことを遂行するのはご法度だったそう。
その王の「よくないもの」がとりつくんだそうで。。
この写真、補正してないんだけど、ミナレット背後の
後光は何!?もしや、かつての王の・・・!!
母親共々、ヒヴァといったらこのカルタ・ミナレット!
だったんだけど、ヒヴァの人たちはこの未完の
ミナレットより上の写真のホジャミナレットがヒヴァの
象徴だと感じているようで、カルタ・ミナレットの
みやげ物を探すのに一苦労。
個人的にはこっちのほうが面白いのにな~

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独立記念祭に向けて、「クニャ・アルク」の中庭では中学生たちが練習。
国歌斉唱する女学生に旗を掲げてダンスを披露する女学生。
そして、女先生(真ん中)。30分強みていたんだけど、この先生のやる気はすごかった!
血圧上がって体に悪いんじゃ・・・と心配してしまったわ(笑)
その点、生徒たちのやる気はまったく感じられず・・・先生かわいそう・・・
休憩中の生徒たちは私の母親と写真をとることに精一杯。
う~ん、ここでもやっぱり母親。普通の日本のおばちゃん(もとい、マダム)なのにね。

ウズベキスタン5日目 ヒヴァへ [ウズベキスタン]

ウズベキスタン5日目です。
ツアーの半分くらいはサマルカンドとブハラまでだけど、
私はやっぱり母親に無理してもらっても砂漠を突き抜けてヒヴァまで行きたい!
という思いがあって、半ば母親に内緒でこの8日間ツアーに。

5日目、昨日の夜から下痢の私だけど、朝からそのあたりを散歩。
異国の地に来て下痢になるのは当然!という考えなんで、あまり気にしない。
とはいえ、今日は朝から夕方まで車の中。
某国の強力な下痢止めを飲んだら、なんのその。
ただ、無理やり止めてる感はあったけど・・・(お食事中の方ごめんなさい)。

ブハラからヒヴァまで、2年前までは大型バスは進入禁止だったけど、
去年に大型の援助を受けることができて、道路が大規模に補修されたそう。
走行距離約470km、すべてアスファルト舗装です!
4厘駆動じゃなくてもスイスイといけてしまう砂漠越え。
ウズベキの高級車、ネクサスでの快適な旅を満喫。

ホント、ウズベキすご~い!!ロシア万歳!と叫びたくなったわ。
だって、ブハラから20分も走れば礫砂漠。
ところどころにオアシスの町はあるものの・・・こんなに道路が快適だなんて。
道路もすごいけど、もっと驚いたのは、ヒヴァまでひたすら電線が延びていたこと。
砂漠に電気は必要ないやろ~と思いつつ、ガイドさんに尋ねると、
「砂漠には地下資源が豊富。その工場で働いている人たちのため」だそう。
そう、ウズベキは地下資源の宝庫。天然ガスや石油も出るらしい。
で、その地下資源を狙って中国系がビジネスを大規模に展開させようとしているのだとか。
(ガイドさんいわく、です)
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こんな砂漠なのにね~某国の砂漠も掘ったら意外と何かでるのかな・・・?
あ、でも、砂沙漠はかなり限られた一帯のみです。。

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途中、ユルタ(ゲルのこと)をいくつか見かけました。
道沿いから手を振ったら姉弟が300mくらい砂地をかけて来てくれた。
旅行者がいろんな物をあげていくらしく、なかなかオシャレ。
両親は日帰りの遊牧に出かけ、姉弟が留守番。
遊牧民は一説によるとインド系の子孫だとか。
姉弟もウズベキスタンでみる顔ぶれとは異なってました。

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でっかいオアシスの町を右手に曲がると、ほどなくしてアムダリア川に遭遇!
この川の向こう側はタジキスタンです。
国境を接していない日本に暮らす私はなんだか異世界に迷い込んだ気分。
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運がよければ(時期にもよるのかな?)、
野生のラクダや遊牧のラクダ群に出会えるかも!
写真のラクダはヒヴァで飼われているラクダです。。

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ウルゲンチ近くでアムダリア川を渡ります。
なんだか、ガタガタするな~と思ったら、あちこちに亀裂が!
大丈夫~この橋~!?と心配したけど、
これ、橋は橋でも、使わなくなった船でできている橋。
甲板同士を無理やりくっつけているから亀裂が。
一応、有料です、この橋(笑)
ロシア時代からこうなのだとか。

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で、そうこうしているうちにヒヴァに到着。
ウズベキではめったに雲がでないらしいけど、
この日は、雨降るんじゃ・・・?と思うほど、
雲行きが怪しくなりました。
さすが雨女!ここでも力を使ってしまいました(笑)




ウズベキスタン4日目 もろもろ③ [ウズベキスタン]

今日もウズベキのもろもろのアップです。

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ウズベキスタンでは結婚は18歳から。
こちらでも30歳を過ぎて独身だと婚期を逃した
といわれるそうで、女性たちは結婚を急ぐのだとか。
ガイドさんいわく、「独身をつらぬく女性はいない」そう。
今では恋愛結婚なんだけど、恋愛はまだまだ厳しい。
左の写真は夫婦が初夜に使用する布。
この布に処女の証がなければ大問題に。
そのこともあって、未婚の女性が一人暮らしするなんて
ことはあり得ないとのこと。
ガイドさんも両親と離れているけど、オバさんとずっと
暮らしていているそう。
離婚は「一族の恥」と考えられているようで、めったなこと
ではされない。夫婦間で問題があっても、親族が絶対に
させないのだとか。
夫以外の男性を知ることがタブーのため、離婚した(された)
                        女性はその後再婚することなしに生きていくことに。

結婚後、子どもが生まれると40日間は家の中のみで生活。
その後、外に出る儀礼をおこなって、新生児をどこにでも連れて行くことができるんだそう。
子どもの名前は母親がつけることが一般的。
女児の場合だと、花や季節に沿ったものが多いんだとか。
息子が生まれると、父親は屋敷内に40本のポプラの木を植えるのが慣わし。
息子が結婚して家を建設するときにこの木を切って使用するんだって。
ウズベキの家は日干しレンガにところどころ柱をわたして作られていて(セメント塗り)、
屋根はトタン屋根で、日本のような先のとがった三角形。
その屋根から壁までの三角形の部分を木で作ります。

ちょっとぎょっとしたのが、乳児のあやし方。
乳児は布や布団でぐるぐる巻きにされ、何箇所も紐で縛られるんです。
仰向き一直線になった乳児は母親の足に乗せられ左右に揺られる。
えぇ~!と思ったけど、骨が曲がらないようにするためなんだとか。
女性の場合、生足をみせることはないけれど、それでもまっすぐな足がキレイだと
されているから、特にぐるぐる巻きにされる傾向に。。
赤ちゃんって身動きとれなくても泣かないんやな・・・新たな発見。

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ウズベキの観覧車。怖くて乗らなかったけど、座る部分はコーヒーカップのよう。
シートベルトついてなさそうだったんだけど・・・
ウズベキにもあった、世界のおもちゃ、レゴ!嬉しくてつい撮っちゃった。

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タシケントやサマルカンドではみなかったけど、ソ連時代のなごりが!
ウズベキはインフレのため今出回っているのは札のみ。
何種類かあるコインはみんな箪笥保管。モスクへの喜捨にコインがよく使われるんだとか。
写真の自販機はもう機能してなくて、自販機の横でおばちゃんがシロップジュースを販売。
ガイドさんは「ウズベキでは人との触れ合いが大切。機械での購入は味気ないから」って。
機械から人へ。こういう発展が「途上国」にもやっぱりあるんだな~と。
もちろん、その他の要素が様々に絡んでのことだろうけど。

ちなみに1ドル1500スム(2009年8月中旬)で、商業ベースでは1800スムの計算だった。
高額紙幣が1000スムだから、一度にたくさん替えるととんでもない札束に・・・
外国人はタシケント以外だとドルが使える(むしろメインがドル)んだけど。

明日はヒヴァに向かいます!

ウズベキスタン4日目 もろもろ② [ウズベキスタン]

2泊3日の勉強会合宿に福井に行っていました。福井合宿はまたいずれ。
ウズベキの更新を楽しみにしていらっしゃる方もいるようで、ありがとうございます。

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ウズベキスタンではお茶を飲む習慣が。
ブラック・ティーとグリーン・ティーを。
一応、ブラックは紅茶、グリーンは緑茶です。
でも、ブラックは紅茶というより薄~いほうじ茶。
グリーンは少々ハーブの香りがする番茶。
ちなみにお茶は「チャイ」で、
ブラックは「コク・チャイ」。
「コク」は「青」だそうです。
暑い日には水を飲むより熱いお茶を飲むのがよい
といわれていて、私もガブガブ飲んでました。
東南アジアのチャイとは異なって、
砂糖は入れません。

写真はブハラのチャイハナでハーブティーを飲んだときについてきたお菓子。
チャイを飲むときの作法として、ホストは3度湯飲みにチャイを半分ほど入れ、
急須に戻し、しっかりと色を出してから4杯目に各湯飲みについでいきます。
このときも注ぐ量は湯飲みの半分。
だからか、ホテルの朝食でジュースを入れてもらったとき、グラスの半分ほどだった。
並々と注いでほしかったのに・・・

注がれた湯のみに茶柱が立っていたとき、こちらでは「家に招かれる」といわれ、
中央に泡が立ったとき、泡にさわった指をポケットに入れたり、首につけたりすると、
「金持ちになれる」といわれています。また、湯飲みの縁に泡がたったときには、
「誰かが噂をしている」らしいです。
なかなか興味深いでしょ。
泡は大抵中央から端に動いていっちゃうから、早めに触っておかないと!!(笑)

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写真はこちらの結婚式の衣装。
ソ連時代の影響からか、まずは純白ドレスでの結婚式。
その後、慣習に基づいた結婚式をおこなうそう。
慣習に基づいた結婚式では、男女がナンを2つに
分けることで夫婦になるんだとか。
あぁ、やっぱりナンは重要なのね。
イスラームでは一夫多妻(4人の妻まで)が認められて
いるけど、ウズベキスタンでは一夫一妻制。
国家法で決められているそう。
多分、これもソ連の関与によるものなんだろうな。
昔(祖父・曽祖父の時代)は2人の妻を持っていた人も
いたということなので。

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結婚後、花嫁(写真の左の人)は40日間、外出の際には
このような四角い帽子をかぶり、きれいな格好をする必要
があるそう。この帽子は夫からの贈り物。
女性が輿入れの際に必ず持っていくのは、ふとん。
日本では今はどうだか知らないけど、座布団は絶対
でしたよね(少なくとも母親はそういってます)。
日本とウズベキスタン、文化が似てますね。
シルクロードつながり?
こちらでも、寝るときには床にふとんを敷くんです。
食事やチャイはダブルベッドのようなところに靴を脱いで
座るんだけどね・・・
ベットには座布団の代わりにふとんが敷かれてます。

ちなみに、婚資(夫側が妻側の家族に支払うモノ)は、現金。
都市ではあまりもうこの慣習は廃れたということのようだけど、
都市以外の地域ではまだ続いているとのことです。

ウズベキスタン4日目 ブハラ② [ウズベキスタン]

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ブハラのシンボル「カラーン・ミナレット」
日干しレンガを積み重ねて作られたミナレット。
サマルカンドのようなタイル貼りもいいけれど、
日干しレンガ、味があるな~
某国で見慣れているだけかもしれないけど。
この細かい模様がなんともいえない!
高さ46.5mで、地下基礎は10mだとか。
サマルカンドでもそうだったけど、ミナレットは
処刑場でもありました。
ここから罪人を落とすんです。あ~・・・
一度地震で上の部分が崩れたものの、
チンギス・ハーンもここは襲撃しなかったようで、
12世紀の修復以来、大規模な修復はないとか。
ミナレット登りたかったけど、中がかなり危険なようで、
去年から登れなくなったそう。残念。


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カラーン・モスクの中庭から。空の青が深い。

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9~10世紀にかけて作られた
「イスマイール・サマニ廟」。
中央アジアに現存する最古のイスラームの建築物
ということで、学者たちの注目の的だそう。
これも日干しレンガを積み上げ作られているんだけど、
凹凸がなんともいえない美しさ。
急いで撮ったから写真ゆがんでますが・・・
真ん中あたりで白くなっているのは、潮のため。
砂漠化の影響で地下水がどんどん少なくなって
潮が上がってきているのだとか。
ここの廟の周りも、サマルカンドと同様、
反時計周りに3周、願い事を唱えながら周ると
叶うそう。私もしっかりとやってきました。
叶ってくれ~私の願い。


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中もこんな感じでキレイにレンガが並べられています。
円形の日干しレンガ、はじめて見ました。すごい!

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ブハラ発祥の地「アルク城」。
門を入ったすぐのところに牢屋があって、各国からのスパイたちが囚われていたそう。
で、この牢屋の上が馬小屋になっていて、馬のフンやら尿やらが囚人の牢へ垂れ流され・・・
お食事中の人、ごめんなさい。
右は城から撮ったブハラの町並み。
砂漠のオアシス、緑は日本の都市より遥かに多い。

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ブハラのキャラバンサライで
テイスティングしたワインたち。
8本試飲したら酔っ払ってしまい、
おじさんの言い値で購入・・・
倍以上ぼったくられました。。
ワインを値切る習慣がなかった上、
酔っ払った私が悪いんだけど。
おじさん、大喜びして旗まで
立ててくれました。

次回はウズベキスタンのもろもろをアップします。

ウズベキスタン4日目 ブハラ① [ウズベキスタン]

選挙結果、大変なことになってますね。どうなる今後の日本!?

前回の記事、改行指示ができてなくて、とっても読みにくいものに
なってました・・・読みに来てくれた人、ごめんなさい。ちゃんと直しましたので。
改行されてないとあんなに読みにくくなるねんな・・・
あいにく文字の多い記事でもあったし。。

さて、きょうはブハラ!

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ブハラも世界遺産に指定されています。
その名もブハラ「歴史地区」。
ブハラとはサンスクリット語の「僧院」をさすらしい。
青色がまぶしいサマルカンドとはうってかわって
ブハラは日干しレンガの町並み。
建物のほとんどは16世紀のもの。
観光客もあまり多くなくって、
ゆっくりと静かに町を散歩できる。
タシケント→ヒヴァ→ブハラ→サマルカンド→タシケント
で周るツアーが一般的なんだけど、私たちのは逆周り。
タシケント→サマルカンド→ブハラ→ヒヴァ→タシケント
列車の時刻との兼ね合いもあってブハラで2泊。
落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりできたから
この行程でよかったわ。

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「タキ」(ドーム)市場。もこもこがかわいい♪
大通りの交差点に建物を作ってそこを市場にしたそう。
大通りだから、ラクダを引き連れたキャラバンも市場に入ってこれたとか。

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チンギス・ハーン専用のモスク、「バラハウズ」モスク。
20本の柱が向かいの池(ハウズ)に映って40本になるから「バラ」(40)とつけられたそう。
残念ながら、時間の関係上、池には柱が映らず・・・

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今は「水」博物館として使用されているモスク。
一番奥にはどなたかが埋葬されています(名前忘れた)。
右は博物館にあった絵。オアシス都市だったブハラでは、114ものハウズ(池)があって、
絵にあるように水商人たちがくみに来ていたそう。

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ブハラではまだ修復されていないメドレセがいっぱい。
中央のメドレセは左のウルグベクメドレセより2世紀ばかり新しいものだけど、
修復されていないからこっちのほうが古く感じる・・・
サマルカンドの修復が終了したらここもどんどん修復されていくんだろうな~
でも、なんかブハラはこのままがいい!と思うのは旅行者だからかな、やっぱ。
メドレセの中庭にはみやげ物屋が。女性たちはスザニ(刺繍)してます。
あまり売れていないのか、かなり安く購入できました。
ちなみに地面におかれているのは絨毯(羊毛だけど)。。

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左は「カラーン・モスク」の中庭。名前の通りカラーン(大きい)。
広い上に人がいない!なんだか、神聖な感じが。
全面に絨毯が敷き詰められた室内では向かいの神学校の生徒か、コーランの暗唱。
歌声にも聞こえるコーランを聞きながら、30分ほど休憩。
右は「ミル・アラブ・メドレセ」。
チンギス・ハーンがペルシャ奴隷を売った資金で建設された学校。
今も神学校として使われています。
ちなみに、英語の説明表記によると、神学校にはベーカリーがあるとか。
ライブラリーやPC室といっしょにベーカリーが並んでいたから、なんだかおかしくて。
やっぱり、神学校においてもナンは重要なんだね(笑)

ウズベキスタン3日目 もろもろ① [ウズベキスタン]

サマルカンドが終わり、ようやくブハラへ!

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またまた特急列車「シャルク」(シルク)号に乗車しブハラへ。
列車の旅があったから、このツアーを選んだようなもの。
あんまり気にすることなかったけど、案外私、てっちゃんなのかも・・・
サマルカンドに向かう車内は冷房効きすぎて寒かったのに、
ブハラに向かうときには冷房が故障・・・暑すぎ~!
私はこっちで大変幼くみられ、大概15~17歳くらい・・・
車内で近くに座ってた中学生の男の子に気に入られたようで、少々会話を交わす。
間違いなく同じくらいの歳だと思っているような会話だった・・・
若い子は学校で習っていることもあって、英語をきちんと話す。
少なくとも日本の高校生以上には話せてたな~
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ウズベキスタンの食事には必ずナンがつきます。
プロフ(ピラフ)にも。炭水化物+炭水化物・・・
国内でも土地土地によってナンが異なり、人気があるのはサマルカンドのもの。
中央のがサマルカンドのもの。中身がつまっていてずっしりモチモチ。
サマルカンドのナンを買いに来る人もいるくらい。
列車に乗るとき、みんな5~6個ほど購入してました。
でも、私的には(母親ともども)ブハラのもの(右写真)がいちばんおいしかった♪
ちなみに、ナンをわける(ちぎる)のは男性の役割。
レストランやチャイハナでもいちばん年上の男性がちぎってました。
その間、みんなさっさと他の料理を食べ始めてた・・・

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入国するとき、中東からの旅行者か、ヒジャブの女性が。
入管の男性係員には顔を見せることができないから、
女性係員を呼び出しパスポートとの照合を。
こういうときでも例外にはならないのね。大変・・・
一方、ウズベクのイスラームの戒律は大変ゆるい。
7~8世紀ころからイスラーム化(それまではゾロアスター)
しているんだけど、ロシアの影響が強かったためなのかな?
スカーフをしている女性は高齢の女性以外
ほとんどいなく、アルコールを飲み、
豚肉まで食べます(ソーセージやハムがおいしい)。
 
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モスクや神学校には上の写真のように5回のお祈りの時間が
記されているけど、スカーフと同様、お祈りも個人の信仰次第。
ついでに、ラマダン(旅行中に始まった)も強制されない。
でも、ラマダンが始まって3日間のうちに魚を食べる習慣が。
この期間中に魚を食べると、1年間健康でいられると言われ
ているそう。内陸国なので、もちろん川魚を。
その昔は戒律も厳しく守られていて、女性はこのような格好。
遊牧民のウズベクは頭からすっぽりと布をかぶっていたそう。
真ん中の黒いのは馬の毛から作られたもの。
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ガイドさん曰く、「心の中に信仰があればいいの。」
というわけで、私は何の気兼ねもなく毎日ビールを。
サルバストはウズベクの地ビール。
味はう~ん・・・軽いです。
女性も飲むけれど、ビールは男性のものと捉えられ
ていて、女性は主にワインを飲むそう。
ブハラにあるワイン試飲場で8本ほど試したけれど、
私の口には合いませんでした・・・どれも甘い!!
でも、ネタとして1本お土産に。
週明けの合宿でみんながどんな反応するのか楽しみ~♪
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車窓からの景色。実はタシケントからサマルカンドに向かうときに撮ったものだけど、
サマルカンドからブハラも同じようなものだとガイドさんが言ってたので。。
ウズベキスタンは綿花と小麦、メイズの産地。
今でも「ソフホーズ」体制。写真のように広大な農地は国の土地。
人々は何年間かの使用権を購入して農業を営むそう。
ウズベキスタンは基本的に平らな土地だけど、このように岩山(何とか山脈・・・)も。
遠くのほうにも山脈が。
写真には撮れなかったけど、至るところに廃墟と化したソ連時代の工場跡地も。
建て直すより新たな土地に工場を作るほうが安い!ということらしい。
まぁ、今のところ土地は有り余っているみたいなので。

ウズベキスタン3日目 サマルカンド④ [ウズベキスタン]

ようやく3日目。でもまだサマルカンド・・・

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今日も早起きしてその辺を散歩。
ティムールさんの恩師が眠る廟へ。大々的に修復してました。
中に入ってみると、壁はもちろん、墓まで作ってたよ・・・
史実に基づくものなんだろうけど、なんだかな~
警備員の説明では、ティムールの恩師とその息子たちってことだけど、
あれ、恩師はグリアミールにティムールといっしょに眠ってたのでは・・・??
右の写真、修復された壁にアラビア文字が(縮小したら見えなくなったけど)
14世紀のものらしいけど、でも、修復前の壁には何も残ってなかった・・・う~ん・・・

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人々は朝6時前に集められて公園作り。
草を刈って、土を入れて、木を植えて、芝生を敷き詰めて・・・
それもこれも9月1日の独立記念祭のため。

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多くの人がここがいちばん!という「シャーヒ・ズィンダ廟」。俗にいう墓場です。。
外から撮ったら、え、ここがキレイなの?と疑うけど。
私も中に入るまではそう思ってました。
シャーヒ・ズィンダには預言者ムハンマドの従兄が奉られています。
この従兄、ムハンマド自身が彼以上に自分とそっくりな人は世界にはいない、
というほど、ムハンマドにそっくりだったとか。
ちなみに右の写真はシャーヒ・ズィンダからとったレギスタン広場の3つのメドレセ。

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ウルグベクが作らせた前門。
豪華です。
「シャヒ・ズィンダ」というのは「生きている(生き続ける)王」
という意味だそう。
(「アミール」も王だったけど、あちらはタジク語、
こちらはウズベク語)

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シャーヒ・ズィンダ廟には44の廟(墓にドームを建てると廟になります)と墓が!
そのうちの多くはまだ誰のものかわかってないみたい。
左はシャーヒ・ズィンダ廟地図、中央は夏モスクの天井。中国っぽい柄でした。
シルクロードを伝ってきたのね~
右は「天国への階段」。なぜ天国?と思ったけど、上がってその意味がわかった。
上りと下りが同じ数だと、今までの悪行が取り払われて天国へいけるとか。
ちなみに私は、、、違った・・・な~ぜ~???

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「天国の階段」を上って見える廟群。一瞬にして青に包まれました。
感嘆の声しかでなかったな~ ね、天国に来たみたいでしょ??

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左はウルグベクの先生の廟とティムールの乳母の廟のドーム。
乳母までこうやって手厚く神聖な場所に埋葬されるのね。
右はどこかしらの廟(名前忘れた)。

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廟のひとつひとつはこんな感じ。右の茶色の廟は誰のかわからない廟。
ただし、ここに奉られるくらいだから、権力者かイスラームの僧ではないかといわれてる。

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廟の中もきらびやか。装飾されていない廟もあるけど。

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こんな感じで霊廟が並んでいます。

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「ここの空間だけ、時間が止まってるみたい」とタタールのガイドさんが。
確かに、大変キレイでした。
ムハンマドの従兄が奉られているため、シャーヒ・ズィンダに3回参りにくると
なんとメッカに参りに行ったことになるとか!
というわけで、観光客も多いけれど、ウズベクに住む参拝客も多い。
シャーヒ・ズィンダ廟の周りは現在の墓地になっています。
神聖な場所の近くに埋葬されたい!というのが人々の意見。
ただし、と~っても地代が高いため、有力者や学者、その家族などしか購入できないとのこと。
ウズベクの墓地、なかなか興味深かったけど、長くなったので、もろもろはまた今度。
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