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ウズベキスタン4日目 ブハラ① [ウズベキスタン]

選挙結果、大変なことになってますね。どうなる今後の日本!?

前回の記事、改行指示ができてなくて、とっても読みにくいものに
なってました・・・読みに来てくれた人、ごめんなさい。ちゃんと直しましたので。
改行されてないとあんなに読みにくくなるねんな・・・
あいにく文字の多い記事でもあったし。。

さて、きょうはブハラ!

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ブハラも世界遺産に指定されています。
その名もブハラ「歴史地区」。
ブハラとはサンスクリット語の「僧院」をさすらしい。
青色がまぶしいサマルカンドとはうってかわって
ブハラは日干しレンガの町並み。
建物のほとんどは16世紀のもの。
観光客もあまり多くなくって、
ゆっくりと静かに町を散歩できる。
タシケント→ヒヴァ→ブハラ→サマルカンド→タシケント
で周るツアーが一般的なんだけど、私たちのは逆周り。
タシケント→サマルカンド→ブハラ→ヒヴァ→タシケント
列車の時刻との兼ね合いもあってブハラで2泊。
落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりできたから
この行程でよかったわ。

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「タキ」(ドーム)市場。もこもこがかわいい♪
大通りの交差点に建物を作ってそこを市場にしたそう。
大通りだから、ラクダを引き連れたキャラバンも市場に入ってこれたとか。

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チンギス・ハーン専用のモスク、「バラハウズ」モスク。
20本の柱が向かいの池(ハウズ)に映って40本になるから「バラ」(40)とつけられたそう。
残念ながら、時間の関係上、池には柱が映らず・・・

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今は「水」博物館として使用されているモスク。
一番奥にはどなたかが埋葬されています(名前忘れた)。
右は博物館にあった絵。オアシス都市だったブハラでは、114ものハウズ(池)があって、
絵にあるように水商人たちがくみに来ていたそう。

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ブハラではまだ修復されていないメドレセがいっぱい。
中央のメドレセは左のウルグベクメドレセより2世紀ばかり新しいものだけど、
修復されていないからこっちのほうが古く感じる・・・
サマルカンドの修復が終了したらここもどんどん修復されていくんだろうな~
でも、なんかブハラはこのままがいい!と思うのは旅行者だからかな、やっぱ。
メドレセの中庭にはみやげ物屋が。女性たちはスザニ(刺繍)してます。
あまり売れていないのか、かなり安く購入できました。
ちなみに地面におかれているのは絨毯(羊毛だけど)。。

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左は「カラーン・モスク」の中庭。名前の通りカラーン(大きい)。
広い上に人がいない!なんだか、神聖な感じが。
全面に絨毯が敷き詰められた室内では向かいの神学校の生徒か、コーランの暗唱。
歌声にも聞こえるコーランを聞きながら、30分ほど休憩。
右は「ミル・アラブ・メドレセ」。
チンギス・ハーンがペルシャ奴隷を売った資金で建設された学校。
今も神学校として使われています。
ちなみに、英語の説明表記によると、神学校にはベーカリーがあるとか。
ライブラリーやPC室といっしょにベーカリーが並んでいたから、なんだかおかしくて。
やっぱり、神学校においてもナンは重要なんだね(笑)

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