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ウズベキスタン6日目 ヒヴァ① [ウズベキスタン]

ウズベキ初の世界遺産、ヒヴァの「イチャン・カラ」。

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博物館都市の異名を持つほど、イチャン・カラ全体が古い町並み。
ブハラもよかったけど、ヒヴァにきて、2人して落ち着く~と。
城の内の「イチャン・カラ」は南北650m、東西450m。
写真は高台からのイチャン・カラの眺め。茶色の町並みがなんとも言えない。
縮小したからわからないけど、遠くは砂漠が広がってます。

今でもイチャン・カラには3000人ほどの人々が居住しているんだとか。
このあたりはホレズム王国が栄えていて、その頃はイチャン・カラは王族・貴族に
絡んだ人々しか住めなかったそう。
現在はイチャン・カラの人々は観光で生計を立て、ジシャン・カラ(城外)の人々は農耕で。
やっぱり、経済格差は相当なものらしいことが服装などからも垣間見えた。
ちなみに、ジシャン・カラも城壁で囲まれてたらしいけど、今はほとんど残ってないらしい。

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イスラム・ホジャのミナレット。
ブハラの日干しレンガだけのミナレットも
とってもよかったけど、ヒヴァのこのミナレット
のようにところどころタイル貼りもオシャレ。
でも、ここのミナレットも処刑に使用されていたそう・・・
あぁ~・・・
そのほか、キャラバン隊への灯台としても機能していた
らしいです。

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ヒヴァの目印、カルタ(短い)・ミナレット。
本当はブハラまでを見通す110mのミナレットを立てる
予定だったらしいけど、王の死亡によりわずか26m。
でも、ミナレットの直径(忘れた・・・)はここが最大!
次の王が父親の意を汲んで完成させてあげれば
よかったのに、と思ったけど、次の王が前王の遣り
残したことを遂行するのはご法度だったそう。
その王の「よくないもの」がとりつくんだそうで。。
この写真、補正してないんだけど、ミナレット背後の
後光は何!?もしや、かつての王の・・・!!
母親共々、ヒヴァといったらこのカルタ・ミナレット!
だったんだけど、ヒヴァの人たちはこの未完の
ミナレットより上の写真のホジャミナレットがヒヴァの
象徴だと感じているようで、カルタ・ミナレットの
みやげ物を探すのに一苦労。
個人的にはこっちのほうが面白いのにな~

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独立記念祭に向けて、「クニャ・アルク」の中庭では中学生たちが練習。
国歌斉唱する女学生に旗を掲げてダンスを披露する女学生。
そして、女先生(真ん中)。30分強みていたんだけど、この先生のやる気はすごかった!
血圧上がって体に悪いんじゃ・・・と心配してしまったわ(笑)
その点、生徒たちのやる気はまったく感じられず・・・先生かわいそう・・・
休憩中の生徒たちは私の母親と写真をとることに精一杯。
う~ん、ここでもやっぱり母親。普通の日本のおばちゃん(もとい、マダム)なのにね。
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